賢島大学

誰でも学生教授セミナー2008年5月23日 17:46

2008年5月23日  代々木高校 志摩本校にて

第2回 伊勢志摩元気プロジェクト賢島大学 誰でも学生教授セミナー   2008/05/23
            
① 「 円  吉  桜 」         
 代々木高校 西 尾 哲 明

1 初代伊勢志摩国立公園協会長であった和具出身の石原円吉さんが私財を投じて桜9481
本を公園内の至る所に植えた。ソメイヨシノは樹齢50年が過ぎようとしている。
2 戦後初の国立公園として伊勢志摩は全国で13番目、戦後初となる。石原円吉さんは
 伊勢志摩をより美しく、されども一級の公園にという願いを込めたのである。
  当初、戦前は吉野熊野に編入をと言い出した「いいだしっぺ」が石原である。石原は志摩の水産の振興に尽くした、郷土愛に溢れた熱血漢で、のちの三重漁連の会長を務める。国立公園期成同盟の会長、県議会議長、その後、衆議院議員も勤める。
3 昭和33年から私財を投じて桜を植える。志摩では磯部中、文岡中、神明小、旧立神小、横山、片田漁協、布施田漁協、和具の観音堂、八雲神社の土手、鳥羽樋の山、加茂小、神島、桃取中、畔蛸漁協等々、至る所にある。
4 樹齢50年を越え、古木化している。石原義剛さん(海の博物館長)は長男である。

②  「 賢 島 の 思 い 出 」
前 国立真珠研究所員  山 村  豊

1 昭和18年生まれの賢島の金比羅山の子息である。神明小から、転勤で松坂へ。また、中学校は文岡で過ごし、就職は国立真珠研究所に就職した。特に多徳島の臨海実験所は思い出深い所である。その後、長崎大村湾や玉城に転任し、定年後は神明に帰った。
2 金比羅山は父が苦労してやっていたようでいろんな思い出がある。山車や藤棚、井戸。
 賢島駅前のにぎわいや港から出る巡航船の発着。少年時代は賑やかだった。
 志摩観光ホテルの開業。特急バス。国立真珠研究所。記念碑。実業団駅伝。東海陸上競技大会。水上飛行機。志摩用水。近鉄特急開通。志摩マリンランド等々。
3 賢島駅前で真珠店を経営する芳森さんも当時の写真を持参して、参加してくれた。

③ 「 緑 ち ょ う ち ん 」
東原達也 と 竹内伸樹

1 日本の農林水産物をこよなく愛でる粋なお客様のために、カロリーベースで、日本食材が50%を越えれば★(一つ星)、60%を越えれば★★(二つ星)、70%では★★★(三つ星)という自己申告制。そして緑ちょうちんを飾っている。著しく申告違反の場合は[反省]と書いた鉢巻きを巻いたり、丸坊主になったりというルール(自己反省)である。
2 要は環境を配慮した地場産、国産食材の振興である。安全性からも意識化をねらう。一番大切なことは日本人が日本の食材を消費する。緑色の提灯が発する灯りは、単に旬のおいしい素材を使った料理を提供しているだけでなく環境を大切にしている。
3 志摩市内では東原の「まつぽっくり」と竹内の「べんのや」の2軒だけである。伊勢市内でも数軒。県下でもまだ少ない。志摩市は環境の観点からも緑ちょうちんの先進地にしていったらいい。

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地域の魅力を市民の手で発掘・再発見、全国・世界へ向けて発信し、産業・雇用に結びつけていく趣旨でスタートした産官民恊働プロジェクトです。 観光協会、漁協、真珠・旅館組合、三重県、志摩市なども参加し地域活性化に向けた取り組みを予定しています。